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木村拓哉の家族・兄弟エピソードまとめ!家族は芸能一家!

SMAPの解散以降も、音楽活動や俳優としての活動に精力的な木村拓哉。

歳を重ねても、いつまでもかっこいいなという印象ですよね。

また最近では、娘さん2人も芸能活動をはじめて、華々しい有名人一家というイメージもあります。

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今回は、そんな木村拓哉の地元や家族にまつわるエピソードについて調べてみました。

木村拓哉の地元はどこ?

木村拓哉の出身地は東京都調布市になっていて、生まれは東京ですが、幼少期は大阪、小学校から高校までは千葉の学校に通っています。

大阪の番組『おはよう朝日です』に木村拓哉が出演した際に、「3歳頃まで箕面市に住んでいた」と発言していました。

その後、千葉市立磯辺第二小学校(現・千葉市立磯辺小学校)、千葉市立磯辺第一中学校、千葉県立犢橋(こてはし)高校と進学しましたが、芸能活動が多忙になったため、高校2年生に進級するタイミングで都立代々木高校に転入しています。

実家は千葉市美浜区で、一時はグーグルマップに掲載されてしまうほど人気のスポットになっていたようですが、現在は売却され、家族も転居されているようです。

同級生にマツコ・デラックス

木村拓哉とマツコ・デラックスは千葉県立犢橋高校の同級生ですが、高校時代はあまり交流がなかったそうです。

マツコ・デラックスも木村拓哉も出身高校名は明らかにしていませんが、多数の在籍情報あり間違いがなく、2人の最寄駅は、総武線の「新検見川駅」「稲毛駅」で、かなりご近所だったようですね。

マツコ・デラックスは、高校時代の木村拓哉の印象について、「いるだけでカッコいいけど、至って普通に過ごしていました。今みたいな男らしいっていうよりもかわいいという感じ」と2020年4月2日に放送された『徹子の部屋』で明かしていました。

お互いに芸能活動を始めてから、家に訪問したりと交流が深まったそうで、「家は立派ですけど普通の家ですよ。家だとビックリするくらいオーラがなくなって、本当にいいお父ちゃんみたいになる」とも暴露しています。

また、『夜の巷を徘徊する』で共演した際には、当時木村拓哉は人気者で、ブレザーの襟に芯が入っていない改造制服を着ていたことや、ネクタイの芯を抜いていたエピソードも話していました。

いじめにあっていた

木村拓哉は、中学校3年生の時に親戚が履歴書を送りジャニーズ事務所に入所していますが、テレビでの露出が増えると、活躍を妬んだ不良グループからいじめられたり、時には暴走族のメンバーなどに恐喝をされたこともあったそうです。

芸能人ということで反撃できなかった木村拓哉を、母親の悠方子(まさこ)さんが何度も学校に直談判して支えましたが、高校2年生の進級時に芸能人の多く通う代々木高等学校に編入を決めています。

後に悠方子さんは、このときのエピソードについてインタビューで次のように明かしていました。

「拓哉が芸能界に入ることになって、一番心にグッときたのは、やはり恐喝であり、いじめでした」

「通学路全部に族と言いますか、地域の人が待ち伏せていて、どこを通っても何かされるわけです。息子は何も申しませんでしたけれども、ワイシャツのポケットがビリっと破れていたりとか、不自然なところに土がついていたりとか」

「それが段々エスカレートしていって、お金の要求になって。友達がやられるから困ったということを初めて聞いて。お陰様で剣道の先生が捜査四課の方でしたので、いろいろとご指導いただきまして難を切り抜けました」

そして、代々木高校に同じタイミングで編入してきたのが中居正広でした。

SMAPの冠番組のコーナー『ビストロSMAP』の中で、編入試験時に中居正広さんにカンニングされていたことを明かしています。

2人は同級生で、高校時代にはWデートをしたりと、仲良く過ごしていたようです。

木村拓哉の家族構成

木村拓哉は、父親と母親、7歳下の弟・俊作さんとの4人家族です。

家族・名前 職業 年齢
父親・秀夫 盆栽カフェ経営 73~74歳
母親・悠方子 講演家 72~73歳
弟・俊作 アメフト指導・デザイナー 43歳

そして、2000年12月5日に歌手の工藤静香と結婚し、心美さんと光希さんの2人の娘をもうけています。

家族・名前 職業 年齢
妻・静香 歌手 53歳
娘・心美 フルート奏者・モデル 22歳
娘・光希 モデル 20歳

木村拓哉の父親

木村拓哉の父親は「秀夫」さんといい、とてもしつけに厳しいお父さんだったようで、食事は必ず正座をし、インタビューなどではたびたび「ボコボコに殴られて育ちました」とコメントしています。

思春期には取っ組み合いのケンカをすることもあったそうですが、そんな英雄さんも2023年には74歳を迎えられるそうです。

脱サラしてレストランを開店

秀夫さんは元々、『川島織物』という老舗の大手織物メーカーに勤めるサラリーマンでした。

1992年頃〜1996年までは『川島織物』に勤めておられたようですが、退職され脱サラしています。

その原因と噂されているのが、1996年に発売した写真集『木村拓哉』で、販売は川島織物の関連会社である川島インターナショナルがしており、ジャニーズ事務所の許可を取っておらず揉めてしまったということでした。

本当かどうかははっきりとわかっていませんが、その後秀夫さんは、1997年10月に夫婦で『ラ・ポニータ』というレストランをオープンしました。

『ラ・ポニータ』には、スペイン語で「きれい」「かわいい」という意味があり、当時飼っていた愛犬の名前にちなんだものだそうです。

お店は本格的なイタリアンが味わえると大人気で、ファンもたくさん訪れていました。

東京都と神奈川に店舗を構えるなど人気のお店でしたが、2005年に「キムタク」があまりにも人気でレストラン業務に支障が出たり、秀夫さんが体調を崩したことなどもあり閉店しています。

そんな秀夫さんでしたが、2005年9月には新たにイタリアン薬膳レストラン『リストランテ いな田』をオープンしました。

「より健康に良い食事を」をコンセプトにしたレストランはすぐに人気となり、2009年10月の閉店まで多くの人に愛されていたようです。

現在は盆栽カフェを経営

秀夫さんは現在、東京都三鷹市で盆栽カフェ『小品盆栽 季の風』を1人で経営しています。

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店内には100種類以上もの盆栽が飾られており、盆栽を楽しみながらコーヒーやケーキを楽しめる空間になっていて、Instagramでもたくさん紹介されていました。

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木村拓哉の母親

木村拓哉の母親は「悠方子(まさこ)」さんといい、年齢は父親の秀夫さんより1歳年下になります。

2005年には『リストランテ いな田』をプロデュースし、『イタリア薬膳を召し上がれ』という著作も手掛けていましたが、2009年10月の閉店後は食育などをテーマにした講演家として活動されています。

悠方子さんが登録している講演家サイトのプロフィールがこちらです。

心と体にやさしい料理を提供するレストラン経営の体験からいのちをいただくことを意識して食べること、また、2人の息子の子育て体験から、母親が心に届く言葉(ことのは)を子どもに語りかけること、そして、自尊心を育むことが、いかに大切か伝えている。
NPO法人「エフ・フィールド」副理事長として、医師の日野原重明先生の『10歳のいのちの授業』の普及活動にも参加。 一般社団法人「三月のひまわり」顧問として、東日本大震災の被災地支援にも尽力。

引用:コーエンプラス

2011年からは『一般社団法人ふる里再生協会』を設立し、会長を務めるなど精力的に活動されています。

自身のレストラン経営の体験から、「食育」「子育て」などをテーマに講演会を開いておられますが、この講演会での発言がだんだんとスピリチュアル寄りではないかと噂になってしまいます。

「食育を通して、子育てや女性の自立を提唱するスピリチュアル的な活動をしている」などと報道されたこともありますが、食育や子育ての大切さを説くために、精神論に寄った持論を話されていただけのようで、「スピリチュアル講演会」と銘打っているわけではなさそうです。

木村拓哉とは絶縁?

木村拓哉と母親は現在絶縁しているといわれ、2000年12月5日に工藤静香と結婚したことが理由ではないかと推測されています。

木村拓哉には、工藤静香さんと結婚する前に別の女性と付き合っていて、その女性は2人が経営するイタリアンレストランで働いていて両親と親交が深かったため、悠方子さんは元彼女と木村拓哉の結婚を望んでいたようです。

そのため、木村拓哉と工藤静香との結婚に悠方子さんが猛反対し、以来親子関係に亀裂が入ったと噂されています。

本当のところは不明ですが、木村拓哉が結婚後に実家に行くことがなくなってしまったそうなので、絶縁の理由となった可能性はあるかもしれません。

木村拓哉の弟

木村拓哉には7歳下に「俊作」さんという弟がいて、「キムサク」の愛称で親しまれています。

俊作さんは1979年7月29日生まれの43歳で、堀越高校時代にアメフトを始め、日本体育大学でもアメフト選手として活躍されました。

卒業後はアサヒビールシルバースターに入団、2003年にはドイツで開催されたアメフトW杯に日本代表として参加しています。

一度は引退されましたが、42歳の時に現役復帰し、『電通キャピタラーズ』に所属されているようです。

また、2019年からは防衛大学校のアメリカンフットボールチーム『Cadets(カデッツ)』でコーチも務められています。

俊作さんがアメフトの実力の高い選手だった事がよくわかりますね。

ファッションデザイナーも

俊作さんは、ファッションデザイナーとしても活躍していて、2003年に高校の同級生の協力を得て、『SHUIP(シュイップ)』というブランドを立ち上げています。

『SHUIP SYMPATHY』の第1号店を東京都渋谷区宇田川町にオープンさせましたが、5年ほどで閉店しました。

しかし、ブランド閉鎖後も俊作さんのデザインした服は人気が高く、オークションなどで高額取引されているという噂もあります。

現在は、ファッションショーのモデルをしたり、カレッジリングの作成・卸などもしているそうです。

兄との関係

木村拓哉と俊作さんは7歳離れているため、兄弟のエピソードはあまりありませんでしたが、以前俊作さんがインタビューで兄について次のように話していました。

「何をするにも、キムタクの弟と言われる。兄貴とは別の道を歩んでいるのにあまり嬉しいものではなかった」

「お互いに好きなことをやってるんだから、俺には関係ない」

「キムタクの弟としか見られず、それが悔しくて突っ張ってきた」

「体を鍛えたのも舐められたくなかったから」

一見仲が悪いのかとも思われますが、お兄さんを尊敬していて、その上で自らの道を切り開こうと頑張ったともとれますよね。

25歳で結婚

俊作さんは2004年5月、25歳の時に2歳下の高知県出身の女性と入籍されています。

結婚式には混乱を避けるために兄である木村拓哉は出席しなかったそうですが、喜ばれていたでしょうね。

現在、木村拓哉が実家に行くことがなくなったため、本当のところはわかりませんが俊作さんともあまり交流がないのではといわれています。

木村拓哉の妻

木村拓哉の妻は、歌手の工藤静香です。

  • 工藤静香(本名 木村静香)
  • 1970年4月14日生まれ
  • 53歳
  • 身長:163cm
  • 血液型:B型
  • 出身地:東京都

工藤静香は一時代を築いた元アイドルで、おニャン子クラブでは、生稲晃子・斉藤満喜子とのユニット『うしろ髪ひかれ隊』としての活動していました。

当時の人気は絶大で、ソロ活動をスタートしても『MUGO・ん…色っぽい』や『嵐の素顔』、『黄砂に吹かれて』など数々のヒット曲を連発しています。

また、「愛絵理」という名義で作詞活動もしていて、ほかのアーティストに作詞を提供することもありました。

絵の才能

工藤静香といえ



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